こんにちは、aokoです。
先日、上野の森美術館で開催されている「KING&QUEEN展」に行ってきました。
テューダー朝からウィンザー朝までの5つの王朝のポートレート作品90点がロンドンから上野にやってきました。
1500年くらいから現在に至るまでの、英国王室のドラマティックな歴史がわかる素晴らしい展示でした。
前回は開催概要や、実際に購入したグッズについて投稿しました。
今回はハノーヴァー朝、ウィンザー朝の国王や女王について簡単にまとめ、関連映画などを紹介したいと思います。
🔱目次🔱
ハノーヴァー朝
ジョージ1世(1714~1727)
ジェームズ1世の曾孫。
ハノーヴァー朝の始祖で、ドイツのハノーヴァー選帝侯であった。
イギリス国王でありながら、ほとんど英語を話さなかったと言われている。
ジョージ2世(1727~1760)
ジョージ1世の息子。
先王の治世以来、政権はウォルポール等に一任されており王権は縮小していった。
ジョージ3世(1760~1820)
ジョージ2世の孫にあたる。
ハノーヴァー朝初の英国生まれの国王。
芸術と科学の支援者であった。
アメリカの植民地に対する政策で失敗し反発を受けた。
戦争や革命など怒涛の時代であったが、産業革命が進行した時代でもあった。
晩年のジョージ3世は精神障害に襲われ廃人のように過ごした。
ジョージ4世(1820~1830)
ジョージ3世の息子。皇太子のときから、好色家として悪名高かった。
巨漢であったため「クジラ王子」と嘲笑されていた。
芸術に対して優れた支援活動を行った。
ウィリアム4世(1830~1837)
ジョージ3世の3男であり、ジョージ4世の弟。
在位のときには65歳。
青年時代に海軍に勤めていたため「船乗り王」と呼ばれている。
ヴィクトリア(1837~1901)
叔父のウィリアム4世が崩御後に即位。
18歳のときに即位し、それまでの王の中で最長の63年にわたり在位。
この時代に、植民地支配に成功し世界の大国へとのしあがっていった。
従妹のアルバート公と結婚。
立場上、プロボーズを受けることはできないため自ら結婚を申し込んだ。
9人の子供を授かり、国民からの好感度も高かった。
結婚21周年後、アルバート公が病により亡くなり、長きに渡り喪に服す。
何年もの間、公の場に立つことを控えた。
1901年、81歳でこの世を去った。
ウィンザー朝
エドワード7世(1901~1910)
ヴィクトリア女王の息子。
妻のアレクサンドラ王妃と同様ファッションリーダーとして名を馳せ、国民からの人気も高かった。
王は美女たちと浮気を長きにわたり繰り返した。
その中のひとり、アリス・ケッペルは王室の先導者のひとりとなっていた。
彼女に曾孫は、現女王エリザベス2世の息子、チャールズの妻カミラである。
ジョージ5世(1910~1936)
エドワード7世の息子。次男であったが、兄アルバートが肺炎でこの世を去り、王位を継承した。
アルバートの婚約者であったメアリー妃と結婚する。
恋愛結婚ではなかったが、結婚生活は順調で6人の子供に恵まれる。
慈善活動にも取り組み国民からの人気も高かった。
エドワード8世(1936)
ジョージ5世の息子。魅力的で国民からの人気も高かった。
王子のときから人妻であったをウォリスと不倫をしていた。
伴侶にすることを覚悟したが、2度の離婚歴がある彼女を女王にすることに王家をはじめ周囲が強く反対する。
1936年12月10日に正式に王位を退く。翌日のラジオ放送で「愛する女性の助けなくして国王の務めを果たすことはできない」と国民に伝えた。
ジョージ6世(1936~1952)
ジョージ5世の息子でエドワード8世の弟。
幼いころから吃音症に悩まされていた。
戦時中、ラジオ放送で国民を激励した。
映画「英国王のスピーチ」でも有名。
エリザベス2世(1952~)
1953年6月2日にウェストミンスター寺院で戴冠式が執り行われ、初めてテレビで放映された。
25歳で女王になり、今年で歴代最長の在位68年になる。
戴冠式の映像👇
最後に
KING&QUEEN展では、君主以外の王室の肖像画が多く展示されていました。
最近だと、ダイアナ妃であったり、ウィリアム王子やハリー王子であったり、英国王室をよく知れる展示となっていました。
機会があれば是非足を運んでみてください。
会場で販売されている図録は、見た目も綺麗でおすすめです✨部屋に飾ると映えます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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